最終修正日 : 2023.04.12   |  
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時間をさかのぼる江華島日帰り旅

様々な歴史遺跡が残っていて、「屋根のない博物館」と呼ばれる江華島(カンファド)。首都圏から気軽に日帰りで訪れることができる江華島の、歴史観光スポット5ヵ所を紹介します。


コース
  • 甲串墩台
    (江華戦争博物館)
  • 燕尾亭
  • 大韓聖公会
    江華聖堂
  • 朝陽紡績
  • 高麗宮址

外国の侵略に対抗した護国の精神、甲串墩台(江華戦争博物館)

江華大橋を渡って甲串(カプコッ)墩台に着くと、時間はすぐに過去にタイムスリップします。「墩台」とは、海岸や境界地帯に石や土で築いた小さな観測・防衛施設のことです。甲串墩台は、朝鮮時代の第19代王、粛宗5年(1679年)5月に築造された「四十八墩台」の一つです。 ここは昔から、外部から江華島にやって来るための要所で、諸外国の侵略という悲しい歴史にまつわる場所です。 高宗3年(1866年)9月の丙寅洋擾のとき、フランスの極東艦隊が上陸して江華城と文殊(ムンス)山城を占領しましたが、10月に鼎足(チョンジョク)山城の戦いで梁憲洙(ヤン・ヒョンス)将軍の率いる軍隊に敗退します。 日本の全権大臣であった黒田清隆も6隻の艦船を率いてやって来て、雲揚号事件の責任を問うて強圧的な江華島条約(日朝修好条規、丙子修好条約 )を結びました。朝鮮が日本に屈した最初の近代条約が、この江華島条約です。 その後、甲串墩台は崩れて一部が残るのみとなっていましたが、1977年にかつての姿のままに復元されて今日に至っています。展示されている大砲は、江華海峡から侵攻してくる日本軍の船舶を砲撃した場所です。 甲串墩台の中には、江華戦争博物館があります。先史時代から高麗時代の蒙古軍の侵攻、朝鮮時代の義兵戦争、そして韓国戦争に至るまで江華島で起きた戦争の歴史が分かりやすくまとめられています。

甲串墩台(江华战争博物馆) 1
甲串墩台(江华战争博物馆) 2
甲串墩台(江华战争博物馆) 3
甲串墩台(江华战争博物馆) 4
甲串墩台(江华战争博物馆) 5
  • 住所 仁川広域市江華郡江華邑ヘアンドンロ1366ボンギル18
  • 電話 +82-32-930-7077
  • 利用料金 無料

美しい景色に宿る歴史の悲しみ、燕尾亭

燕尾亭(ヨンミジョン)は、江華島北東部の漢江(ハンガン)と臨津江(イムジンガン)が合流する地点に建てられている東屋です。強固に築かれた城壁の中に入ると、丘の上に佇む東屋が目に飛び込んできます。 東屋の下に流れる川がまるでツバメの尾羽に似ていることから、「燕尾亭」と呼ばれるようになりました。正面三間、側面二間の建物は、四方が開放されており、ここに大きな古木が映えて趣を添えています。 月串(ウォルゴッ)墩台の頂上に建てられていて、晴れた日には北側の黄海道(ファンヘド)・開豊(ケプン)地域まで見通せるほど周囲の景色が美しくなっています。 燕尾亭がいつ建てられたのかは未詳ですが、第23代高麗王の高宗 (コジョン)が学生を集めて学ばせたという記録が残っています。

燕尾亭 1
燕尾亭 2
燕尾亭 3
燕尾亭 4
燕尾亭 5
  • 住所仁川広域市江華郡江華邑月串里242
  • アクセス- 甲串墩台から車で7分
    - 「青少年修練館」バス停から12番バスで12分 → 「江華郡庁」バス停から10(江華)番バスで15分
  • 電話+82-32-932-5464
  • 利用料金無料
  • ※ 燕尾亭は民間人統制区域にあるため、入るには身分証明書の提示が必要です。

韓国で初めての韓屋様式の聖堂、大韓聖公会江華聖堂

大韓聖公会江華聖堂は、1900年に建てられた韓国で初めての韓屋様式の聖堂です。聖堂の全体的な建築様式は、西洋建築ではなく正統韓国式の瓦屋根を葺いた形となっています。 2階建ての建物で、外観は聖堂というよりはお寺の雰囲気を醸し出しています。しかし、配置や内部の構造は二列に柱を立てて空間を三分割するのが特徴の西洋のバシリカ(Basilica)様式に倣っています。 聖堂の屋根に立つ十字架、内部の天井に使われている木材など、江華聖堂のあちこちにある、東洋と西洋を行き来する要素が印象的です。ここを訪れたら、礼拝堂の建物を観るだけではもったいないでしょう。 外観は韓屋と西洋の教会のありきたりな折衷のように見えますが、周囲まで細かく見ると、儒教や仏教的な雰囲気も随所に感じられます。

大韓聖公会江華聖堂 1
大韓聖公会江華聖堂 2
大韓聖公会江華聖堂 3
大韓聖公会江華聖堂 4
大韓聖公会江華聖堂 5
  • 住所仁川広域市江華郡江華邑クァンチョンギル27ボンギル10
  • アクセス 「燕尾亭」バス停から10番バスで18分 → 徒歩5分
  • 電話 +82-32-934-6171
  • 利用料金無料

捨てられた織物工場がホットスポットに生まれ変わった朝陽紡績

朝陽(チョヤン)紡績は、その名前からわかるように紡績工場です。現在はたくさんの人が訪れる観光スポットになったカフェですが、ここは日帝強占期(1937 年)に民族資本で設立された由緒ある工場です。 独立当初まで、江華島は韓国の三大織物の町の一つでした。織物の工場だけで60ヵ所以上がありましたが、1970年代後半から合成繊維と人工織物の人気が高まり、ほとんどの工場は閉鎖されました。 こうして数十年間廃工場として放置されていた朝陽紡績が、数年前に改修工事を経て、ユニークなカフェに生まれ変わりました。コンクリートの建物の外観をそのまま生かしたカフェの外観からは、歳月の痕を感じることができます。 インテリアも、昔使われていた作業台をテーブルにしています。今では使えなくなったミシンや椅子などは、朝陽紡績ならではの独特なインテリアになっています。 壁にかかった様々な絵、1954年の朝陽紡績の操業時の様子が写った写真は、古い自転車、故障したトラクター、ペンキの剥げた赤い電話ボックスなどと一緒に、ビンテージな雰囲気を醸し出しています。

朝陽紡績 1
朝陽紡績 2
朝陽紡績 3
朝陽紡績 4
朝陽紡績 5
  • 住所仁川広域市江華郡江華邑ヒャンナムギル5ボンギル12
  • アクセス 「中央市場」バス停から11A(江華)番バスで11分 → 徒歩3分
  • 電話 +82-32-933-2192
  • 代表メニューアメリカーノ , 塩パン

かつて宮殿があった痕跡の上に立つ、高麗宮址

高麗宮址は、絶え間ない外国の侵略と、これに抵抗した韓民族の精神をうかがい知ることができる歴史的な空間です。1232年に高麗が蒙古軍の侵略を避けて都を江華島に移した後に築かれました。 その後、対蒙抗争期の39年の間高麗の王宮として使用され、講和條約(1270年)の後に高麗王が開城(ケソン)に再び都を移すと、蒙古軍の要求によって宮殿と城郭がすべて破壊されました。朝鮮時代には、ここに様々な官庁の建物が建てられました。 奉先殿の建立(1622年)、行宮の建立(1631年)、留守府東軒の改修(1638年)、留守府吏房庁の建立(1654年)と続き、長寧殿(1695年)と萬寧殿(1713年)が順に建てられて、朝鮮の王宮の姿を整えました。しかし、奉先殿は丙子胡乱(1636~1637年)の際に焼失します。 王室 にまつわる書物を保管する目的で建立された王立図書館に当たる外奎章閣(1782年)は、丙寅洋擾(1866年)の際にフランス軍の襲撃に遭い、そこに保管されていた書物は略奪され、建物には火が放たれました。 現在は、2003年に復元された外奎章閣と留守府の東軒と吏房庁が残るのみとなっています。

高麗宮址 1
高麗宮址 2
高麗宮址 3
高麗宮址 4
高麗宮址 5
  • 住所仁川広域市江華郡江華邑カンファデロ394
  • アクセス - 朝陽紡績から車で3分
    - 徒歩13分
  • 電話 +82-32-930-7078
  • 利用料金無料
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