본문 내용 바로가기

観光

  • home
  • 観光
  • 仁川の島
仁川の島
  • facebook
  • twitter
  • google

分断の悲しみを噛み締める

イシモチの島「延坪島(ヨンピョンド)」

延坪島は元々イシモチの島であった。
イシモチがいなくなってしまった今は「ワタリガニの島」になっているが、延坪島の歴史においてイシモチの役割はワタリガニとは比べ物にならないほど大きい。
延坪島のイシモチ漁は朝鮮仁祖代の名将であった林慶業(イム・キョンオプ )将軍が始めたと伝えられている。

林慶業将軍が丙子胡乱(丙子の役)の恥辱を受けた清を打ちに中国へ向かう途中、お水や食べ物を得るため、延坪島に寄ることになった。
そして、島の人たちに安木(アンモク)と堂島(タンソム)の間の浅海に白樫を細かく打ち込んでイシモチの獲り方を教えたことから、延坪島のイシモチ漁の歴史が始まったという。
歴史館の隣には灯台公園と延坪海戦を勝利に導いて祖国のため、殉死した英霊を追慕する目的で造られた平和公園がある。
ここでは展示用のタンクや装甲車、ヘリコプターなどが観られる。
安木漁場の北東部の海に立っている丘には望郷展望台がある。
ここは北朝鮮が鮮明に一望できるところであり、北方限界線(NLL)が通る南と北の海を行き来しながら違法操業をしている中国漁船がよく観察できるところでもある。
延坪島は仁川港との距離は船路で122kmもあるが、北朝鮮側に位置する康翎(カンリョン)半島のユッセミまでは12.7kmしかなく極めて近い。
日本統治時代まで延坪島の行政区域はもちろん、生活圏も黄海道海州に属していた。

今も延坪島の住民の約70%は黄海道出身の失郷民である。韓国戦争の時、韓国に避難し、北朝鮮に帰れないまま、ここで住んでいる。
ここの展望台にある望郷碑には失郷民の悲しみを歌っている「望郷歌」が刻まれている。

お母さん、熱い心情が高まり
母性の血となって胸に流れる
お母さん、田舎におるお母さん!
お母さんが眠っている故郷を
私は、歳老いる前に必ず踏んでみたい

展望台を登る道には、2010年、韓国の海兵隊軍人2人と民間人2人が死亡した北朝鮮の延坪島砲撃を思い出させる跡が残っている。この跡から1953年の休戦協定後、記憶から忘れていた戦争の悲しさが伝わってきた。

展望台から降りて、2010年、北朝鮮の砲撃挑発以降、建てられた安保教育場へ入る進入路にも砲撃の跡が残されている。
安保教育場の野外展示場には砲撃を受けた民間の家屋の様子もそのまま保存してある。
安保教育場は砲撃の残骸物展示室、追慕のための空間と体験空間、避難施設が設けられている。
  • 安保教育場
    • 位置 : 延坪面 延坪理 174番地
    • 利用時間 : 9時 ~ 18時(※ 冬季は変動あり)
    • 休館日 : 毎週月曜日、正月、旧正月、お盆休みの当日
    • 入場料: 無料
大延坪島と小延坪島を繋ぐ党島には延坪海戦を称える延坪海戦の戦勝碑がある。
延坪海戦は1999年6月7日から北方限界線を侵犯して攻撃していた北朝鮮の海軍に対し、逆衝突という方式で追放作戦を遂行した韓国の海軍が6月15日に北朝鮮からの船体射撃を受けると同時に対応した14分間の海戦の勝利を称えるところである。 延坪島は美しい自然景観と共に安保の重要性と平和の大切さが肌で感じる島である。