본문 내용 바로가기

仁川探検

  • home
  • 仁川探検
  • 一味違う、仁川の街
一味違う、仁川の街
  • facebook
  • twitter
  • google

列車の代わりに心が走る

旧水仁線の線路の旅
学校の帰り道、友達と一緒に砂利の上に敷かれたレールに耳をあてて列車が近づく音を聞く危ない遊びが楽しかった子どもの頃。最近の都会では決して見られない光景だ。線路で遊んだ懐かしい思い出に浸れる場所は、今はもうあまり残っていない。

しかし、幸いなことにまだ仁川市にはレールの上を歩ける場所がある。
週末には大勢の人が訪れる崇義洞(スンウィドン)の線路村だ。住宅街とマンションの横を走る鉄道の昔懐かしの様子を見ることができる。

学校の帰り道、カンカンカンと音をたてながら遮断機が下りてくると人も車も一斉に止まる。鈍い大きな音をたてて目の前を通り過ぎる長い長い貨物列車は、まるで自分の姿を自慢するようにゆっくりと走り去っていく。
水仁線の大将のような貨物列車が通り過ぎて再び遮断機が上がると、何事もなかったかのように人も車も動き出す。
線路の周りには、貧しかった時代に寒い冬を過ごすのに欠かせなかった煉炭工場があった。線路脇に立ち並ぶ名もないレンガ工場の煙突からは、絶えず煙が上がっていた。
今も崇義ロータリーから京仁高速道路に行く三叉路には、家具工場が昔のままの姿で立ち並び、その周辺には小さな家々が寄り集まっている。そして、その向こうに見える高いマンションは、過去と現在が共存する不思議な雰囲気を醸し出している。
水仁線の狭軌鉄道
仁川市の松島と水原市の間を行き来した全長52kmの狭軌鉄道。昔、金よりも貴重だった塩を輸送するため1935年に造られたが、収益性が低いことから結局1995年に運行が中断された。今は列車は走ってはいないが、その代わりカップルなど大勢の人々が狭軌鉄道を訪れる。名前も知らない野生の花が咲いているレールの上を手をつないで一緒に歩くカップルたちが楽しい思い出を作っている。
蘇莱歴史館に行くと、水仁線についてより詳しい内容を知ることができる。列車の幅がバスより狭かったため、列車が大きく搖れるたびに向かい合って座る乗客の膝がぶつかり合ったという。その上、小さくて力が弱かったため、安山市の元谷峠を登るときは乗客が下りて列車を後ろから押したという面白い話も残されている。
また、松島駅の周辺は、狭軌列車に乗って農水産物を売りにくる商人によってできた青空市場で有名だった。この市場は、蘇莱に住む婦人たちがとれたての海産物や塩辛、近くの農村で育てた新鮮な野菜などを列車で運んで来て松島駅前で売ったのが始まりだ。塩辛売りが列車に乗ると、客車内はあっという間に干潟の匂いでいっぱいになったという。香水の香りではないが、人々の暮らしが感じられる温かい人情の香りが漂っていたはずだ。
蘇莱の塩を日本に運ぶことから、「収奪の列車」という恥辱的な名前で呼ばれていた時期もあったが、それでも人々の暮らしの一部分として様々な忘れられない思い出が残っている水仁線。延寿区にある「ウリガボンチプ」という焼肉料理店の庭には、水仁線狭軌列車の最後の運行列車である9165列車の運転台が保全されている。 水仁線のレールの上を歩きながら昔の思い出を満喫してみてはどうだろう。